お笑いタレントが面白くなくなった理由~もう”金太郎飴芸人”はいらない

お笑いタレントが面白くなくなった理由~もう“金太郎飴芸人”はいらない
http://toyokeizai.net/articles/-/35467

「いや~誰もかれも、オモロナイな……しかも、おんなじようなネタとキャラばっかりやし……」
これはお笑い番組を見るたびに思う、グローバルエリートの弟子である私の反応である。
そこで昨日、たまたま某テレビ番組で吉本お笑い学校に通う若者を特集する番組があったので、
日本の“画一化する笑い”への警鐘を緊急に鳴らすべく、スクランブル発進させていただくことにしたい。

日本ではお笑いブームが数年の周期でやってくるが、これは各サイクルで大量の若手芸人に
テレビに一瞬出る機会を与え、ごくまれにいる「本当に才能のある若手タレント」に
世に出るきっかけを与えている。しかしながら一部の光るタレントを除いて、
総じて若手芸人の笑いのレベルは低く、笑えないお笑い番組だらけであることに
問題意識を覚えているのは、私だけではあるまい。
別に高度な社会風刺や政治風刺、メッセージ性のある知的な笑いを
すべての芸人に求めているわけではないが、コントで出てくるキャラも同じような
キャラ、シチュエーションも同じような設定、ネタの展開もどこかで見たようなものばかり、
つまりほとんどの“お笑い芸人”にデジャヴ感があり、新鮮味がないのである。
日常の枠を取り払った破天荒さを見せるべきお笑い芸人が、
定められたお笑いの枠に閉じこもってしまっているのは、いったいなぜだろう。
中でも下ネタや、似たような“ボケキャラ”の笑えない反復が多く、
この笑いのレベルが低い原因を、私は吉本興業とテレビ局に求めたい。

さて、よく知られたことだが、NSCというお笑い養成所を吉本が抱えており、
お笑いプロダクションが抱える“芸人養成所”としては断トツの規模を誇っている。
吉本は若手芸人におカネを全然払わないことで有名だが、
それでも芸人候補が殺到するのは、そのテレビ局への
ディストリビューション・ネットワークおよび業界での政治力の賜物であろう


>>1
これはたとえば投資銀行でも若手時代はゴールドマンサックスよりも
下位のセカンドティア、サードティアの銀行のほうが実は給料を弾んでくれることがある
のと似た理由だろうか。つまるところ業界のリーダーであれば、
別に会社側が苦労しなくても、タレントが押し寄せるということである。

ただしゴールドマンをはじめ投資銀行では数百、下手したら数千の応募者から
数十人が選ばれるので、業界の入り口に立っている時点で
すでに適正がかなり絞られているわけだが、吉本の場合は基本、
お笑い志望生が40万円などの入学金を払えば、よっぽどの不適格者でないかぎり
基本的には吉本の入り口に立てるわけである。結果的に入り口の段階から、
まったくお笑いへの適性のない人が、現実離れした自分の適性を踏まえない志望動機で、
お笑い業界の入り口に立つのを、吉本は止めてあげる道義的責任がないだろうか。

実際の話、NSCの卒業生の中で、お笑いタレントとして食べていけるのは
1%とかそういう確率らしい。お笑いタレントの卵をいったん抱え込んで、
その卵にカネを払わせてトレーニングし、選抜して商品になる芸人だけ
テレビの電波に乗せていくという仕組みは、ビジネスモデルとしてあっぱれである。

しかし笑いの消費者である視聴者にとっては、はなはだ迷惑な話だ。
今やお笑い芸人の大半がNSCなどの養成所を通して入ってくるので
その1年間で“教え込まれる”笑いのパターン、お笑いの型にはまってしまい、
結果的に金太郎飴のように同じ“お笑いパターン”の芸人が、大量に生産されてしまっているのだ。

グローバルエリートを笑いの師匠として頂く私が断言するが、
お笑いのセンスとはそもそも、教えられるものではない。ごく一部の例外はあるかもしれないが、
たとえば小学校や中高のときにクラスで面白くなかった人は、
その後10年とか20年の月日を超えて再会しても、
相変わらず鈍い笑いのセンスで周囲を凍りつかせている。
わが家の兄弟姉妹を見ても、うちの長女は笑いのセンスが幼少期から皆無だったが、
成人した今も寒い冗談を、いかにも「あんたら、この笑いにまだついてこれてへん」みたいなしたり顔で連発するのだ。

3 名前:幽斎 ★@転載禁止[] 投稿日:2014/04/17(木) 11:24:32.52 ID:???0
>>2
そもそもこれら“笑いの養成所”での指導役の放送作家や
お笑いタレント自身に笑いのセンスがあるのか、
世に出ているレベルの低いお笑い番組を見るにつけはなはだ疑問だが、
これはお笑いコンテストの審査員自身に笑いのセンスがない、と斬ったビートたけし氏と同じ意見である。

年末のお笑い芸人のトーナメントなどを見ていても、吉本の全然面白くない重鎮芸人たちが、
さも訳ありげな表情で“審査”とやらをしているのは、滑稽にすら思えてしまう。

そして結果的に、これら“重鎮”に日頃から目をかけてもらっている
“吉本養成所のときから長らく下積み生活を頑張ってきました”という系列芸人たちが、
見飽きたおなじみのパターンをNSCで学び、時代遅れの化石芸人たちの的外れな
“審査”を通じてお茶の間に電波で運ばれていくのだから、お笑い番組が面白くなるわけがないではないか。

日本社会にはあらゆる場面で年功序列が色濃く残っているが、
新しく、前衛的であるべきお笑いの分野でも、
新たな笑いの才能が、笑いの老害たちに出世を阻まれているのだ。
かつてのお笑いの天才たちは、新たな笑いの形を世に提供してきた。
笑いのクリエーティビティという意味では、かつてのダウンタウンは笑いのイノベーターであった。
しかし後続の芸人の多くがその影響を受け、同じようなトーンの笑いをまねようとしたが、
これは松本氏と浜田氏の個性と才能があるからこそ受けた“型”であり、
背景の違う芸人がNSCなどで学んで面白くなれる話ではないのである。
そもそも、人の脳は同じ刺激には反応しなくなくなる。
どれほどすばらしい音楽でも毎日聞いていると食傷するし、
あれほど笑えた漫才も、YouTubeで何度か見るともう嫌悪感すら覚える。
つまり過去に受けたネタやパターンは、すでに視聴者がそのパターンを認識しているので、
昨日面白かったネタは、もう今日は全然面白くないのである。
まだかつての笑いのパターンに触れていない中学生や高校生には
“新鮮な刺激”かもしれないが、中年以降の視聴者にとっては、
どれもすでに見たことのあるパターンだらけで、
特にダウンタウンのコピーの失敗作のようなコンビがあまりにも多い。
(以下更に続くので残りはソース元で続き)
キャプチャ3