電王戦を見て考えたこと 西村京太郎(作家)

<プロ棋士の頭はコンピューターだ>

 まだコンピューターが一般人にはよくわからない時代だったから、コンピューターが魔法と同じみたいに考えられていたのである。そのプロ棋士が今や、コンピューターというかゲームソフトに苦戦しているのだから面白い。

 私は電王戦というのを初めて観戦したのだが、何とも奇妙なものだった。予想と全く違っていたのである。

 最近はプロ棋士が負けることが多くなったと聞いていたので、さぞや悲壮感にあふれた重苦しいものだろうと思っていたのである。この時も、九段のプロ棋士が、ゲームソフトに負けてしまった。ところが、現場はあっけらかんとして全く悲壮感がなかった。

 ゲームが終盤になって、若い棋士が駒を並べて検討を始めたのだが「どっちが優勢ですか?」ときくと変に明るい声で「もう駄目ですね。100パーセント負けです」という。口惜しがっている様子は全くなかった。それが不思議だったのだが、みんなの話を聞いているうちに、だんだんわかってきた。負けているのに悲壮感がない理由である。

 棋士とコンピューターは仇同士ではないことがわかった。仲間だった。

 

 一つはコンピューター殺しのプロ棋士の誕生である。コンピューター(ゲームソフト)にもそれぞれクセがあるという。それを読み取ることに天才的な才能を持つ棋士が生まれて来ないだろうか。棋士同士の戦いでは平凡な成績しか残さないが相手がコンピューターとなると異常な力を発揮して次々に相手を破って「ゲーム殺しの○○六段」みたいな肩書きがつけば面白いのだが。

 もう一つは対戦のときのロボットである。コンピューター相手では味気ないし絵にならない。

 そこでロボットが置いてあるが、どう見ても産業用ロボットである。私が見たのは腕だけのロボットで気味が悪い。その上コンピューターは別の場所に置いてあってロボット自身が考えているわけではない。

 そこでまず、コンピューターを内蔵した人型ロボットにして欲しい。もちろんコンピューターの容量が小さくなるから、しばらくは弱くなるが、今のコンピューターの発展スピードを考えれば一台のコンピューターでたちまち強くなるだろう。十分強くなったら、この人型ロボットに感情を組み込んで貰いたい。今日、電王戦を観戦して味気なかったのはゲームソフトが全くミスをしなかったことである。それが素晴らしいことなのはわかっているが、作家としてはゲームソフト(コンピューター)のポカを何とかして見たいのである。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1026705

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